タコの酒壺@古代ギリシア

タコグッズ、アート
製作年:BC.1500〜1450年頃

製作地:ギリシア クレタ島

収蔵展示場所:イラクリオン古代博物館(Heraklion Archaeological Museum) ギリシア、クレタ島

ギリシアクレタ島にある「イラクリオン古代博物館」には、中心的存在だったクノッソス宮殿遺跡跡をはじめ、クレタ島各エリアの遺跡から発掘された埋蔵品が展示されています。クノッソス宮殿の遺跡にはレプリカのみ設置され、実物の埋蔵品はこのイラクリオン博物館でのみ見ることができるのです。

ミノア文明(ミノア文明=ミノス王が築いた文明の意味。ミノス文明、クレタ文明とも言う)の中ではたくさんの壺類がありますが、このタコ絵の壺もそのひとつ。この壺を見た時、疑問が浮かび調べてみました。

イラクリオン古代博物館所蔵展示の壺(Wikiより画像転載)
登録番号3383、サイズH 約28㎝
バライカストロ遺跡 西翼部出土

Clay flask decorated in the “Marine Style” with particular naturalism.The octopus tentacles write around the body of the vase, while additional motifs indicate the seabed. Palaicastro,1500-1450BC.

(イラクリオン古代博物館のキャプションより)

1.何のための壺なのか

クレタ島は地理的にアジア、アフリカ、ヨーロッパ等の半島に近く海上交易で栄えたため、海洋文明であったとされています。

内陸ではオリーブやブドウの栽培に適した土地であり、オリーブ油やワインの醸造が盛んでした。

それ故、様々な用途に合わせた多種多様なサイズ、形の壺が製造使用されました。貿易用、運搬用、貯蔵用、祭祀用、埋葬用等々約40種類の土器類が出土していますが、その三分の一が酒器でした。

上記のタコ絵壺は鎧型注ぎ口の壺。水入れとも酒壺とも言われています。他にもワインの貯蔵運搬等に使用したとみられるアンフォラ型のタコ絵壺が多数出土しています。

当時は冷却効果、防腐効果があり、かつまろやかさを増すことから、海水を混ぜたワインが重宝されました。これはワインを薄めるための海水か、もしくは海水入りワインを入れる壺として使用されたのかもしれません。

2.なぜタコの絵なのか

当時の壁画や多種多様な壺の絵には、イルカ、タコ、イカ、ウニ、海藻、貝など様々な海の生き物が描かれています。上記にあるように海洋文明において、食材として豊富で身近に存在した海の生物の絵が描かれました。中でもタコは人気で、食材としてだけでなく、数多くの壺絵のモチーフとなりました。一説によると、タコが好まれたのは、独特の生態や動きによってそれ自身が神格化され、大自然信仰の表現であったのではないかという仮説があります。真相はいかに。

3.誰が製作したのか

残念ながら、ミノア文明の人々に関する詳細はわかっていません。手がかりとなるはずの文字(線文字A)も解読できないまま。ただ出土される人骨の形状や壁画に描かれている人々の絵から想像するに、骨格や肌の色も多様でかなり多人種が共生していたようです。遺跡からの出土品に武器類もなく、おおらかで平和的な海洋民族であったことが伺えます。

そしてクノッソス神殿含め多くの遺跡に工房跡があることから、陶製品を作る職人の存在が考えられます。

陶工職人は、古代ギリシアの良質な粘土を使用して、轆轤(ろくろ)で製作したのではないかとされています。(轆轤はかなり高度な技術ですが、紀元前2500年頃から使用されていた記録があります。)取っ手や装飾など細かい部分は手で形成し、液状粘土で繋ぎ合わせました。

また絵付け師は、木や植物を燃やした灰、尿、タンニンなど混ぜ合わせたもので絵を描いていたと推察されます。

紀元前700~800年頃になると器に銘を入れるようになり、陶工、絵付け師共に誰の作かわかるようになるのですが、それ以前はそのような習慣もありませんでした。これだけの高い技術と芸術性を持った職人たちがどのように、何を思いながらタコ絵の壺を制作していたのか、非常に興味深いです。

上記の壺のレプリカ(「観音崎自然博物館にて)

最後に、ご参考までに。「観音崎自然博物館」でタコ壺のレプリカを拝見したことがあります。私もオンライン検索したことがありますが、骨董関係の店やオークションサイトで、お土産用のレプリカであれば、似たタイプのものを購入できる機会がありそうです。